それはだれのための涙

よくわからないけどとりあえず呼吸のしやすいようにやっていく、ということができないままでいた。

詩は詩でなくてはならないし、物語は物語でなければならなくて、こうしたほうがいいよってことがだんだん義務になっていって、それが本当に正しいのか疑う回数が増えた。これはほんとうに在るんだって言えることがなくなっていった。

なにが悪いのかはっきりさせることが本当にいいことなのか、ここがこうだからいけないって思ってそれを直さなければって思うことはほんとうに何かのためになることなのかわからない。どっちだっていう確信はできないけれど、それでもぼくは、呼吸ができて、ぼくは正しくて、ぼくの思っていることが絶対に間違いとは言えなくて、ぼくがここに居ることには違和感がない、当然のことで、そういうことなんだと、そうあるんだってことを、諦めたときにやっとぼくは他の人の認識とこの世界の不正解と悪辣なまでのどうしようもなさと、そのやさしさとうつくしさを全部まとめて飲み込むことができる。それが「ある」と言えるようになる。

ぼくがここにいるってことを、泣いていますっていうことを、しょうがないなあって笑えよって、できなくてもいいよって言えよって言ってるってことを、変な子でごめんねって、ひとりで何でもはできなくてぜんぜんすごくなれなくて、強くなれなくてごめんなさいって、そう言ってるっていうことを直視すれば、ぼくはそこに在ることができる。ぼくのまなざしの上に弱っちいぼくのきらめき、そのほんの少しでも、かけらでも映り込んだときに、ぼくはぼくのことを認識して、在るんだ、って思うことができる。

世界はすごく痛いものだし、なにかとてもすごいものなんて実は転がっていなくて、それはぼくがどう見るかということにかかっているはずなのに、ぼくが居るってことを見ていなければそれらを見られるはずもなかった。世界はすごく苦しくて救いのないものだってことを認めて泣きながら罵ってしまえばよかったのに、ぼくはいつまでもそこにはなにかすばらしいものがある、って思っていた。ぼくは全部自分のせいにしたかったし、なにか他のものが悪いんだって言いたくなかった。でも他のなにかが悪いって言うってことは、ぼくがそのすべての担保を負うってことで、それは本当は全部自分のせいだって言うことよりももっと大変で、ずっと強くなきゃできないことなんだ。なんでそれが悪いのって言われたときに説明ができないのが怖くて、ぼくは自分が間違っているのが怖くて、ぼくに見える正しい道を考えて喋っていたけど、そうじゃなくて、ぼくはなにかを悪いって言いきれるほどに自分を担保できるような強さを持ってなかっただけだった。自分を背負わないまま、そこになにもないような、ただなにかを受け入れるだけの空虚、そうとしか思えないのは、その奥底に声を奪われたぼくが居るからだ。なにが良いことで、なにが悪いことか、そういうことをただしく言えなきゃいけなかったし、言えなきゃいけないと思ってた。自分の声を剥奪されたぼくはいなくなって、質量分の黒い塊だけがそこに残った。でもその空虚を見て、ただの黒い塊だって思って、じゃあここになんでも入れてしまえばいいよそうすればなにも言わなくて済むから、世界のことばを借りて喋ることができるからなんてそう思ってたってなにも辻褄は合わないのに。

ぼくは誰かに「きみはこんなひとだ」と表現されたくて、それを聞いて笑いながら「そうなんだよ」とか「それは実は違うんだよ」とかそういうことを言いたかった。ほんとうは「きみはすごい」とか「いいひとだ」とか言われて笑ってありがとうって言うような、そんなことはしたくなかった。それでもなんで求めたのかというと、それだけがぼくの中身だったから。世界のすべてを笑って許すことができるのに、それが間違っているんだったらぼくはどうすればいいのか本当に分からなくなってしまうから。

ぼくがぼくの言っていることに意味があるんだって言いたいなら、まずぼくに意味があるんだって言わなきゃいけないのにね。

ぼくはすぐにいろいろなものを言葉で汚染してしまう。ぼくはこういうひとでとか、こういうものが見えてとか、こう思っていてとか、自分の嘘に気づかないまま言葉という膜で覆ってわかったと思ってしまう。そうして人生はぼく自身の壮大な嘘を暴くゲームになってしまって、でもそんなこともわからなくて、ぼくの言葉がわからないのに、ひとの話に言葉を付けてわかったって言ってしまう。ぼくはぼくのことなんてなにひとつ見付けてあげられていなかったのに。
だから紡ぐ言葉がぜんぶ花になってしまえばいいんだ。

ぼくはきっとこれからたくさん喧嘩を売る。世界が悪いんだって言うし、システムのせいだって言うし、家庭のせいだって言う。それがぼくの判断で、ぼくがそう言ったっていうことをがんばって認めたいし、そしてその判断が間違っていたら、それはぼくが間違っていたと思う、って言って請け負えるようになりたい。ぼくがそう思ったっていうことの根拠を引きちぎってしまわないように、ぼくがそう思ったのはぼくがやったことなんだってことを無視しないように、ぼくが居るってことから目を背けてガムテープで口を塞いでしまうような、そして他の誰かに笑顔を向けてあなたが正しいに決まっていますって言うような、そういうことをしないようにしたい。

ぼくが言ったことはぼくの存在だったんだ。
ぼくが思った悲しみと怒りと不条理はぼくの存在だった。
世界に対する慈しみも、優しさへの涙も、無器用さへの嫌悪も、内側に密かに巣食う偏見も、ぜんぶ、ぼく自身だ。

そこにいるの知ってるよって、存在することになにひとつ悪いことはないんだよって、今のぼくはそう言いたい。
だめなところだってそれはぜんぶぼくだった。

ごめんね。愛してる。