Appreciation

次の秋から遠い土地へ行くということがぼくに何も思い起こさせない、と言ったら、それはきっと嘘になる。
手遅れになる前にこの土地の郷愁を詰め込まなければと思うけど、何をしていいのかわからないまま、何を求めているかもわからないまま、ただ秋が近付いてくる。ぼくはここからいなくなる、この感覚は、もしかしたら少し早すぎるのかもしれない。生まれてからひと時も離れたことのない場所を離れて、なにも知らずなにも見たことさえない場所へ行くという初めてのことがただぼくを強く戸惑わせているだけで、高揚感と不安のないまぜになった胃を絞るような感覚が、郷愁や、悲しみだと、そういう風に思うことは、少し高級すぎるかな。

やらなかったことが多すぎるし、それでも僕は約25年間の毎日を、きっちり24時間ずつなにかで埋めて生きてきたはずだった。ぼくが何をしてきて何をしてこなかったのか、考えたいけど、直視するのはひどく恐ろしい。その時はそれしかできなかったんだよ、と口にするのは簡単だけど、その言葉をキーボードで叩いてしまうことでぼくの中からたしかに何かが失われる。きっともっと友人たちと話ができたし、知らないものを見ることができた。未知の体験をすることもできただろうし、その中で箴言に出会うことだってあったかもしれない。でも今のぼくはそれを知らない。日々を、ほとんど無為にしか過ごしていないし、そもそも無為にしか過ごせなくて、いくら密度を詰めたって有意になんてならないんだって知ってる。それでもなにかしたいとか、こういうことが好きだとか、そういうことを掴もうと暴れることがぼくが息をしていくのに必要だった。残っている瓦礫を見渡してため息をつくけど、たしかにそこにいくつかの、ほんの少しの、砂金みたいな出来事もある。その砂金はでもこの土地に散らばっているもので、これからぼくが向かうところには持っていけない。そのことがぼくをとても寂しく苦しくさせる。作ることが苦手だったのに、見つけて作ったものを置いていかなくちゃならないなんて。それも、ただ息をするためだけに。

語っていることはなにもかもが結果論だ。ここを離れるという選択肢も、正しいのかどうか僕にはまだわからない。決断して、達成したことを褒められるのは嬉しいけど、それは好きなおもちゃを見つけてお小遣いをためて買ったことと大差がない。「えらい」という言葉がなにを指すのかわからなくて、いつも曖昧に笑うだけだ。好きなおもちゃを見つけることができたのはきっと、いろいろなおもちゃコーナーに連れて行ってくれた大人のおかげだし、お小遣いをためることができたのはそれを供給できるような保護者がいたからだ。単純に、ぼくは恵まれていた。だから少し後ろめたく思うこともあるし、いろいろなことを叶えられない知人たちを思って悲しくなることもよくある。思ったってどうしようもないから、ただやりたくてできることをするけれど。
なぜこうなったのかなんて話をするなら、それは成り行きだと答えざるをえない。別に昔からここを離れようと考えていたわけでもない。そしてこの突拍子もない成り行きの大部分を担保してくれたのは、ぼくの周りの人だった。友人だって先生だって、よくわからない、という顔をしながらも、それがやりたいことなら、それが君ならと言って応援してくれたことが、ぼくの脆弱な決断を強くしたように思う。ただの一度も嘲笑されたことや、妄言だと思われたことはなかった。そんな彼らが今回の一番の立役者だ。

いつかぼくが考えていたあらゆることが詭弁だと、笑えるようになればいいな。なにが悲しいのかまだわからないけど、ぼくはようやく郷愁の意味を身をもって知るのかもしれない。
アメリカから思う日本はどんなだろう。ぼくは殊に文字に執着するから、もしかしたらTwitterばかり見ることになるかもしれない。手紙をもらえたならそれを繰り返し見ることになるだろう。あまり深い付き合いをするタイプではないから、そんなことはないかもしれないけど

周りの人にしてあげたいことと、ぼくのしたいことを自覚すれば、この無為さや寂しさも、
も少しはましになるのかな。
何があっても、できなかった、そしてそれは仕方がないんだと言うということだけは、いつまで経っても言えないままがいい。