Wissen

無音で響く吐息
ぼくらのパトス
消え入りそうなその光が
新しい日の目を見るのはいつだ

解き放つ方法を知らないぼくは
嘔吐によって自らを損なう
そうして表現をする
でも、それでも
たとえばぼくが
その姿を嘲笑い
彼らに向けて
満面の笑みを放てるようになれれば


ああ!
世界はこんなにも輝いているのに
何故ぼくらはここまで大人しくなってしまったんだ?
ぼくたちはこんなにも雄大なのに
何故こんなにも縮こまってしまっているのか?
叫べばよかった、ただそれだけがぼくたちには欠けているのだ
知るものを知らず
知れぬものを知り
そうしてぼくらは無知な生を重ねる
そうしてぼくらは激情に駆られる者を嗤うのだ!

ぼくらは何を知ったというのか
ただ功利にのみ耳を傾け
そうしてぼくらは何を知り、理解したというのか
ぼくらは、何を知りたかったのか

ぼくは、ぼく自身を嘲笑すべきものとして
そうやって何かに向かって絶えず歩ませるように
そうして生まれてきたのだ


(橘優佳)



ぼくの生は言わば絶えざる克己なのだろう。
生き続ける限り付きまとう「死」が落とすその影、胸を押さえて唸り苦しむぼくは、それだからこそ目指すことができる。
ぼくはぼくの内を彷徨うことしかできないが、
おそらくきっと、それがすべてだ。