必要不可欠なぼくらの空洞
解釈が積み上がること、そしてその愉悦
たとえば、その痛みから逃れるなら
死を孕む激情が、ああ!
どうかぼくを蝕みませんように、
あなたを抱いて眠るぼくの右腕に
ただそれとわかる焼印だけを残して
そうしていつでも
ぼくに寄り添っていますように
この炎が、
いつまでも絶えることのないように
ぼくはその身を焼き尽くすのです
あふれる焦げたその四肢を
放り出してゆくのです
愛おしいこの苦痛を、
かすかに灯る理性でもって抱きしめます
そうしてぼくは、
痛みそのものになるのです。
だからもうどこも痛くないねって
誰かに笑いかけたそのからだは
オシマイの激情の内側に居る
ぼくはまた
「何も変わらないね」
と呟いて
焼印をただ
愛おしそうに撫ぜる
さようならさようなら
ぼくが居られなかった、
やさしくて愛に満ち溢れた世界。
(橘優佳)
世界の解釈
迸る感情が、表出を求めてぼくの内側を喰い破ろうとする。
何への愛だろうか。そもそもの彼への愛か、知への愛か、優しさへの愛か、柔らかさへの愛か、それとも愛への愛か。
強烈な行き場のない感情はどうしようもない文章になって、小さな世界をひとつ創り上げる。なにかに繋がればいい、と呟いてはみるが、もとより目的なぞ存在しないのだ。
書かれるべくして書かれた、そこに必然性こそあれど必要性などは端から持ち合わせていない。そういう文章は、たとえばこうして描かれる。
ぼくはどこへ行きたいんだろう。ときどき呆けた顔をして、虚空を見つめながら問うてしまうのだ。何がしたい、ではなく、どこへ行きたい、のか。
終着点はあるのだろうか。求めているのだろうか。いや、なにかを外部に求めているというよりも、ぼくはただ単に、自らに潜む空虚さを埋めようとしているだけのような気がする。
ぼくの世界の解釈は、本来的な熱を持たない。まだ、上手く言えないけれど。解釈自体は冷え切ってしまっているような、ぼくが色を撒くのに成功すればその部分だけ一時的に熱を持つような。
いまのぼくは世界のことを考えるのがとても楽しい。ニーチェやハイデガー、セネカやプラトンまで、さまざまに感じて考えたひとりの人間である彼らの思考に埋没することも、とてもとても楽しい。たとえばギリシア神話を創り上げ信仰した彼らのことや、その神たちの見ていた世界でさえも、本当に面白く思う。
ただ、そのぼくが今感じている楽しさ、火照る熱の裏側には、どうしようもなく埋められない空洞が存在するのだ。彼は思い出したように時たま顔を出してはぼくに問いかける。おいおいまさかぼくのことを忘れているわけじゃああるまいな、と。問いかけられたぼくは、ああ、とその場で一度立ち止まってしまう。なにを忘れていたんだっけ。ぼくは何を考えていたんだっけ。足りないものはなんだったんだっけ。ぼくはそれを知っていたっけ。そうして止まった足は鉛のように重くて、その場から容易に動けそうにはない。空虚をただ見つめ続けることしかできない期間が始まる。
でも、漠然とだけれど、これは忘れてはいけない空洞だと思う。ぼくの身に定期的に起こる気分的な空虚さと、ぼくの世界の解釈に空いた空洞は、なにか同じもののような気がする。まあ、まだ具体的にはなにもわからないのだけれど。
何が間違っているだとか、ほんとうはぼくらにはきっと言えないのだ。
ぼくの世界のぼくの解釈、きみの世界のきみの解釈。そうしてぼくはきみの世界のきみの解釈しか解釈できない。ぼくらは同じものを見れてはいない。見ることは決してできない。きみの見た青い空は、ぼくが見てもほんとうに青いのか。確かめる術はない。
でも、それでも、ぼくらの視線が交わるのは、交わることができるのは、何故なのだろう。
わからないことはたくさんある。わかれないこともたくさんある。
でも、少なくともいまぼくはぼくの世界を、そう解釈している。
ぼくらの愛のしくみ
Wissen
無音で響く吐息
ぼくらのパトス
消え入りそうなその光が
新しい日の目を見るのはいつだ
解き放つ方法を知らないぼくは
嘔吐によって自らを損なう
そうして表現をする
でも、それでも
たとえばぼくが
その姿を嘲笑い
彼らに向けて
満面の笑みを放てるようになれれば
ああ!
世界はこんなにも輝いているのに
何故ぼくらはここまで大人しくなってしまったんだ?
ぼくたちはこんなにも雄大なのに
何故こんなにも縮こまってしまっているのか?
叫べばよかった、ただそれだけがぼくたちには欠けているのだ
知るものを知らず
知れぬものを知り
そうしてぼくらは無知な生を重ねる
そうしてぼくらは激情に駆られる者を嗤うのだ!
ぼくらは何を知ったというのか
ただ功利にのみ耳を傾け
そうしてぼくらは何を知り、理解したというのか
ぼくらは、何を知りたかったのか
ぼくは、ぼく自身を嘲笑すべきものとして
そうやって何かに向かって絶えず歩ませるように
そうして生まれてきたのだ
(橘優佳)
ぼくの生は言わば絶えざる克己なのだろう。
生き続ける限り付きまとう「死」が落とすその影、胸を押さえて唸り苦しむぼくは、それだからこそ目指すことができる。
ぼくはぼくの内を彷徨うことしかできないが、
おそらくきっと、それがすべてだ。