正しさの踏み躙られ方

ぼくにとって、たとえばある日突然母親が息絶えてしまうことの理不尽さと、社会において正しさという概念が通用しないことの理不尽さは、全く同等である。
程度問題というのはその大抵が個人の価値観に依存するものだと思うし、そこに折り合いこそあれど絶対的な正解は存在しないだろう。また、感情的なことは理不尽さとは別の領域だ。感情的なことの理由に理不尽さが存在することはあっても、理不尽さの理由に感情的なことがあってはいけない。これは、どちらが上位だとか下位だとかの問題ではない。性質の問題だと言いたい。

なぜ、大抵の場合において、前者の方が後者より「重大な出来事」だとされるのか。人間だからか。ではなぜ、人間であれば、それが重大とされるのか。あるいはなぜ、後者は重大でないのか。
そういう生き物だからという説明はほとんど説明の機能を果たしていない。なにか現象のトートロジーで事を済まそうとしているような性質さえ感じる。
ああ、愚かでひどく愛おしい知的生命体だ。

1000年後も人類が存在していたなら、きっとぼくらのことを野蛮だと思うだろう。完璧であれない限り、こんなことは結局相対的なものでしかないのだから。

伝える意図のない説明だ。
そしてまた、大抵の場合において、通用することのないであろう駄論だ。
そのことをぼくはようく知っているのだ。


(2016.08.16)

ぼくの未熟さについて

ぼくは至ってまだまだ未熟なのだ、と思う。湧き上がる怒りも、理不尽に対する正論の言葉も、ぼくが未熟だからこそ考えて、また感じてしまうのだと。そう考えた時、ぼくはどうしようもなく悲しくなる。怒りを感じるぼくに悲しみを憶える。
だって、その姿は本当に可哀想だ。

前より苦しみを感じなくなった。受け容れられる物事が格段に増えた。穏やかになった。物わかりがよくなった。自己と他人を分化して考えられるようになった。「そうかい」と言えるようになった。「じゃあ、仕方がないな」と言えるようになった。それらはほんとうに良いことだと、ぼくは思っている。
そして昔の苦しんでいた僕に少しの未練と郷愁と愛おしさと寂しさを憶えて再び「仕方がないな」と呟くんだ。

それでも時々泣き崩れそうになってしまうのは、やり場がなくてどうしようもないような肥大した正義感、また現実の社会に通用しないような正論を携えて呆然と立ち尽くす僕が、ひどく哀れで仕方がないからだ。きっとぼくはまだまだなにも分かりきってはいなくて、正論にしがみついているのだろうと思う。だって今のその哀れみには、感情移入も混じってしまっているのだから。
君の言うことは正しいよ。常識は決して普通などでは在り得なくて、論理のみがただひとつ普通で在り得る、君の文法ではそうなのだとぼくにはわかってる。言いたいことは痛いくらいによくわかるよ。だってぼくだってそう思ってしまうから。でも、ぼくたちの生きる世界は、そんなに易しくできていない。

正しさ、正義、普通、もしかしたらとある文法では真理と形容するかもしれないようななにか、その姿を追い求めてぼくは哲学へ辿り着いた。
人間の間での言語使用について。
すべてのヒトに共通するなにか。
ぼくらの原動力。

答えは未だに見つからなくて、この探し方が正しいのかすら解らない。けど、解らなくても止められないのがきっと「ぼく」という人間なのだろうと思う。

泣きたいような愛の正体

ぼくは、思っているほども、思われているほども、これっぽっちだって強くはない。いつだって耐え難い悲しみや絶望や、もしくはあふれるほどの愛おしさに支配されている。ぼくの世界はいつだってその相貌を容易に変える、おそらくどうやっても完璧には表せられないような色を映す。

周りに蔓延る死に耐えられない。記憶の中で、ぼくの世界で、確かに動いて喋って笑って泣いていたものがぷつりと途絶えてもう指の先だって動かさなくなる。もう彼らが動くことはない。ぼくの知っている彼らが彼ら自身の意思を表明することはもう、永遠にない。断絶された円環を目の前にして、それでもぼくは今日を生きてる。

少しだって強くない。いのちを失った彼を目にすることもできない。追憶の中でしか悔やむことはできない。たとえばそれは薄情だろうか。
ぼくがたとえば、とよく言うのはきっと、それがなにかを限定する言葉じゃないからだ。なにも限定したくない。誰にとっても、何にとっても、すべては開かれていてほしい。すべてが行きたいところへ行ければいい。ぼくが泣いていたとしても、みんながきみは泣いてないと言えるような世界を渇望している。

なんだってほんとうじゃない。なんだって、ぼくの知覚でしかない。でもそれはなんだって本当だということと同じで、その差異がときどきぼくをひどく苦しめる。でもぼくはなんだって大好きだし愛している、苦手だと感じるひとだって、さようならを告げてしまったひとだって、ぼくが傷つけてしまったひとも、ぼくはみんなみんな泣きたいくらいに愛している。そしてすべてのものにごめんと言って泣きたいと思っている。
裏切られたって傷つけられたって殺されたって、また裏切って傷つけて殺してしまったとして、ぼくは愛おしさを捨てることがたぶんできない。その行為をどれほど罵られてそしてぼくがどれほど懺悔の念を持っていたとしても、ぼくはその罵った人の思うような償いができないかもしれない。でも耐え難いような痛みは感じている、
信じるということ。


すべてを愛している、故にすべてに絶望する。
そしてだからこそ、ぼくは愛することを止められない。
絶望と悲しみと愛はひどく似ているような気がする。



きこえていますか、
見えていますか
きみが好きです。
きみのことを何も知らなくても、
生きて存在している、そのことにぼくは涙を流す。



なにもできなくてごめん、
どうかきみがきみで在れますように


愛しています。



隔離空間の所在

優しく奏でられるような
やわらかな言葉の不在
ぼくの舌に生い茂る棘さえも
何も語らない時の狭間だ

声をかけられて
振り向いたら誰も居なかったと思ったのは
一瞬のことだったか
ぼくらはいつに生きているか
あの真白い空間は
その住所は、
ぼくに知ることができないものか
リノリウムの床にこぼれた言葉は
世界に解されないまま、
きっとどこまでも存在している

髪をさらう風は
ぼくの知らないところへゆくだろう
あるいは
広がる青空は
ぼくの知らないところにあるだろう
その下で
めを閉じ
息を吸う
なにも見えなくなる


ここは
果たしてどこに
存在しているだろうか


世界組成


虹色の
薄氷の張った川を
ぼくはそっと踏んで歩く
踏んで歩く

鮮やかな世界が
ぼくの目の前で散ってはじけた
粉々になった破片は、
肩や喉に刺さる
そうして降りつもる
ぼくの色彩は変わらない
殆ど永遠に

暮れては昇る月を
優しいものを見たい
何よりも愛していて
惜しみなく好きだと言えるようなものだ
いくら言葉を尽くしたとしても
なにも言っていないのと同じくなるようなものだ

ぼくの体組成は
半分がきっと悲しみでできている



倫理と論理、その果て

ぼくは倫理に逆らい得なかったその果ての姿だ。

世界に納得がゆかなくて、じゃあぼくは客観的な正当性を得ればいいと思ったんだ。それはもう、考える道筋として至極単純にね。
論理的に考えればいい。世界は整合しているはずで、なにかひとつの絶対的なものがあって、それを基盤にすればなんだって説明できる。すべてに顔を向けて言えるような、これがこうだからぼくはこうなのだと公言できるような、つまりそれは、自己保身のために徹底的に自己を無くすという行為だった。
自己を無くして大きな何かへと自らを委ねることが必ずしも間違いだとは思わないよ。言葉には用法があり、故にそれは世界と同等に成り得るのだから、様々な世界があるだろう。
でもぼくはその思想の本流には乗れなかった。懐疑主義虚無主義も、大体は納得がゆく。でもなにか変な差異があるんだよ。ぼくの存在に、世界の解釈に、ぴたりと張り付かない。そうだと言ってしまえばそうだ、でもそうでないと言ってしまえばそうでない。正当性を追い求めた先にあるのは違和感だ。客観性という観点を捨て去らないのならば、そこに残るのは納得の行かない、説明の仕様のないなにかの残滓なのだ。

薄々わかってはいた、のだと思う。論理で片付けきれないようななにかがあるわけではなく、ぼくにとって論理で片付けることを許さないようななにかがあるのだ、ということを。なぜ論理に拘るのか、その答えを自分はもう知っているということを。

いくら哲学書を読み解いてもぼくの望むような答えは出てこなくて、それはぼくの望んでいる答えがあったからだった。それをぼくはニーチェの、ある種ひどく文学的にも思えるようなテクストの中に見た。
それがきっとぼくの目指したい方向性だった。

まだぼくは、この方向の決着点を「落とし所を見つける」というところにしか見出せない。でもたぶんそれは少し間違いな気がする。
ぼくの世界は世界としてあればいい。それがたとえば荒廃していたとしても、素晴らしい美しさが注ぐような在り方であっても、黒一色でも白黒写真でも、それが世界としてあればいい。ぼくはぼくだと言えばいい。だってそうだろ?それしかないだろ?
世界のすべては、そのすべての名の元に、永遠に個別でしか有り得ない。

意味なんてものは、創りたければ創ればいいんだ。矛盾なんて知ったこっちゃない、ぼくは、ぼくの愛するものを愛す、そうしてそれしか出来ない。




迸る感情を表すことばを、
ぼくはまだ持てないでいる
色鮮やかにぼくを毒する美しい風景
ぼくが変わる度に、もうそれきりで、永遠に会えないような風景
その景色を
ぼくは今だけの言葉で表す
未来のぼくがそれを見つけた時に、その風景はもう二度と同じようには見えないけれど、
そうやってぼくの世界は美しく在る


まだなにも足りてない、
きっと毎分毎秒のぼくは常にそう言っている
でもきみと同じではない、
ひとつのぼくはすべてのぼくにそう放つ


ぼくのこぼした涙は紛れもなくぼくのこぼした涙だと、誰がなんと言おうとぼくがそう思うからそうなのだと、ぼくは言い張ることにきめた。
ぼくのことをすべてぼくが背負おうときめた。


なにも見えない闇が、眼前でしずかに煌めいている。




永久の氷海

優しい色をした雪なんて
食べる気になれない
溜息だけをひとつ吐いて
残らず溶かしてしまいたい

時が流れない川の上を歩いて
「ひとりになってしまったねえ」
ときみは言うかい
途端に森から影が伸びてきて
きみを攫ってしまうことも知らないままに
ぼくが
きみの居なくなった川の上に
墓をつくることもない
凍らせて
そのまま留めることもない
ただぼくは
心臓をここに持ってくるだけだ
その心臓を砕いて
勿論粉々にしてしまって
もう永遠に見つけることのないように
見つけても絶対に判ることのないように
目の届かないところへ行けと言う

何色の雪が降ってもいいが
どうか君の色だけはと
呆然と呟く
しゃく、と足下の霜が音を立てる


なあに、心配することは無い
外套を着ていれば寒くはないが
人間などというものは、
ナイフひとつで簡単に死ぬのだから。





(橘優佳)